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「東京マグニチュード8.0」というアニメがある。
東京が直下型地震に襲われるというもの。
主人公は中学1年の女の子。
小3の弟のお守りとして二人でお台場に来ている時に地震にあってしまう。
二人はなんとか無事だったが、交通は麻痺して自宅に帰るには歩くしかない。
この二人が自宅に帰り着くまでの出来事が女の子の目線で描かれている。
このアニメを観た時、マグニチュード8.0なんて起こるのだろうかと思っていたが
このアニメ放映の後に起きた東日本大震災では、マグニチュード9.0を記録していた。
アニメでは8.0でさえ、想定以上の大きさで設定されたのだと思う。
現実はいとも簡単にそんな想定を覆してしまう。
3.11の地震の時、テレビではリアルタイムで津波の様子を映し出していた。
私は平成5年に奥尻島を襲った津波のことを考えていた。
あの時は夜中で、カメラなんて回っていなかったからどんなことが起こっていたのか知る由もなかった。
夜が明けて、津波に全てさらわれて変わり果てた島がそこにあるだけだった。
テレビを見ながら、ああ、奥尻でもきっとこうだったんだと、初めて津波の恐ろしさを目の当たりにした。
テレビでは走っている車にどんどん迫ってくる津波や、逃げずにうろうろする人々が映し出されていた。
「何やってるの、早く逃げて!」と心で叫びながら、テレビの前から離れることができずにいた。
その当時電話回線はKDDIを使っていたが、地震の影響で回線が全く繋がらなくなり、ネットもauの携帯も使えない状況だった。
ウチは携帯はdocomoだったので、携帯で実家との連絡ができて無事が確認できてほっとしたり。(KDDIは復旧するのに3日かかった。)
北海道にも、いつ、どれくらいの津波が来るか分からなかったので、テレビでずっとニュースなど見ていたら、被災していないのにもの凄く疲れてしまった。
その後、被災した方や、そうでない方も、震災が起きて感じたこと気付いたことを、テレビやラジオなどに投稿して、様々な人の様々な思いが紹介されるようになった。
その中で、気になったものがあった。
直接は被害がなかった方からのものだったと思う。
「大変だったけれど、家族の絆が強くなったような気がしてよかった」というような内容だった。
なにか悪いことがあった時、人はよく「でも、そのことで強くなれた、命の大切さを知った」などと言う。
神様は乗り越えられない苦難なんて与えないとも言う。
本当にそう?
家族の誰かが亡くなって、良かったことだと言える?
「東京マグニチュード8.0」では、主人公の少女は、退屈でくだらない毎日に苛つき、友達も学校も家族も嫌い、こんな世の中なくなっちゃえばいいのに、と思っていた。
地震で平凡な日常があっという間に崩れ落ち、気づかずにいた大切なものが次々に失われ、初めて彼女は気付くのだ。
自分が嫌っていた毎日がどんなにかけがえのない大切なものだったのか。
そして私は思ってしまう、こんな悲惨な出来事がなければ気付けないものなんかいらないと。
例えば、自分の娘がストーカーにつかまってレイプされて惨殺される。
そのことで家族の絆が強くなったとしても、それは必要なことだったのか。
それは乗り越えられるような苦難なのか。
例えば、震災で子供も孫も亡くしてしまって、一人になってしまったおばあちゃん。
この苦難にどんな意味があるのか。
困難や災厄が降り掛かってきた時、嘆くだけでなく、それによって得られる良い面を見出していこうとするのは、人間が生きていくための知恵なのだとも思う。
それでも思ってしまう。
誰かの命を失うことで手に入れる絆なんていらない。
そんなことでしか気付けないような、大切な日常なんていらない。
3.11の地震の後、そんなことをぐるぐる考えてしまい、理由はそれだけじゃないんだけど、やっていたブログもまったく書けなくなってしまい、胸の中に重たいものをずっと抱えているような毎日だった。
最近、また何か書きたいと思うようになって始めたブログ。
このブログはお気楽なオタ話だけ書いていこうと思っていたんだけど
17日は阪神淡路大震災から18年、そしてkotuさまのブログの記事を読んで、自分の気持ちを書きたくなってしまったので、気力を振り絞って書いてみました。
長くて要点がわからない文になってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
東京が直下型地震に襲われるというもの。
主人公は中学1年の女の子。
小3の弟のお守りとして二人でお台場に来ている時に地震にあってしまう。
二人はなんとか無事だったが、交通は麻痺して自宅に帰るには歩くしかない。
この二人が自宅に帰り着くまでの出来事が女の子の目線で描かれている。
このアニメを観た時、マグニチュード8.0なんて起こるのだろうかと思っていたが
このアニメ放映の後に起きた東日本大震災では、マグニチュード9.0を記録していた。
アニメでは8.0でさえ、想定以上の大きさで設定されたのだと思う。
現実はいとも簡単にそんな想定を覆してしまう。
3.11の地震の時、テレビではリアルタイムで津波の様子を映し出していた。
私は平成5年に奥尻島を襲った津波のことを考えていた。
あの時は夜中で、カメラなんて回っていなかったからどんなことが起こっていたのか知る由もなかった。
夜が明けて、津波に全てさらわれて変わり果てた島がそこにあるだけだった。
テレビを見ながら、ああ、奥尻でもきっとこうだったんだと、初めて津波の恐ろしさを目の当たりにした。
テレビでは走っている車にどんどん迫ってくる津波や、逃げずにうろうろする人々が映し出されていた。
「何やってるの、早く逃げて!」と心で叫びながら、テレビの前から離れることができずにいた。
その当時電話回線はKDDIを使っていたが、地震の影響で回線が全く繋がらなくなり、ネットもauの携帯も使えない状況だった。
ウチは携帯はdocomoだったので、携帯で実家との連絡ができて無事が確認できてほっとしたり。(KDDIは復旧するのに3日かかった。)
北海道にも、いつ、どれくらいの津波が来るか分からなかったので、テレビでずっとニュースなど見ていたら、被災していないのにもの凄く疲れてしまった。
その後、被災した方や、そうでない方も、震災が起きて感じたこと気付いたことを、テレビやラジオなどに投稿して、様々な人の様々な思いが紹介されるようになった。
その中で、気になったものがあった。
直接は被害がなかった方からのものだったと思う。
「大変だったけれど、家族の絆が強くなったような気がしてよかった」というような内容だった。
なにか悪いことがあった時、人はよく「でも、そのことで強くなれた、命の大切さを知った」などと言う。
神様は乗り越えられない苦難なんて与えないとも言う。
本当にそう?
家族の誰かが亡くなって、良かったことだと言える?
「東京マグニチュード8.0」では、主人公の少女は、退屈でくだらない毎日に苛つき、友達も学校も家族も嫌い、こんな世の中なくなっちゃえばいいのに、と思っていた。
地震で平凡な日常があっという間に崩れ落ち、気づかずにいた大切なものが次々に失われ、初めて彼女は気付くのだ。
自分が嫌っていた毎日がどんなにかけがえのない大切なものだったのか。
そして私は思ってしまう、こんな悲惨な出来事がなければ気付けないものなんかいらないと。
例えば、自分の娘がストーカーにつかまってレイプされて惨殺される。
そのことで家族の絆が強くなったとしても、それは必要なことだったのか。
それは乗り越えられるような苦難なのか。
例えば、震災で子供も孫も亡くしてしまって、一人になってしまったおばあちゃん。
この苦難にどんな意味があるのか。
困難や災厄が降り掛かってきた時、嘆くだけでなく、それによって得られる良い面を見出していこうとするのは、人間が生きていくための知恵なのだとも思う。
それでも思ってしまう。
誰かの命を失うことで手に入れる絆なんていらない。
そんなことでしか気付けないような、大切な日常なんていらない。
3.11の地震の後、そんなことをぐるぐる考えてしまい、理由はそれだけじゃないんだけど、やっていたブログもまったく書けなくなってしまい、胸の中に重たいものをずっと抱えているような毎日だった。
最近、また何か書きたいと思うようになって始めたブログ。
このブログはお気楽なオタ話だけ書いていこうと思っていたんだけど
17日は阪神淡路大震災から18年、そしてkotuさまのブログの記事を読んで、自分の気持ちを書きたくなってしまったので、気力を振り絞って書いてみました。
長くて要点がわからない文になってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
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sparrow
Alas I'm not a tiny sparrow
I have not wings nor can I fly
And on this earth in grief and sorrow
I am bound until I die
ああ 雀でもなく翼も持たない私は
飛ぶことなど叶わない
そして 悲しみと嘆きの大地に
命尽きるまで縛り付けられる
PP&MのTiny Sparrowの一節です。
優しくて哀しい歌です。
この歌のタイトルをブログタイトルにしました。
I have not wings nor can I fly
And on this earth in grief and sorrow
I am bound until I die
ああ 雀でもなく翼も持たない私は
飛ぶことなど叶わない
そして 悲しみと嘆きの大地に
命尽きるまで縛り付けられる
PP&MのTiny Sparrowの一節です。
優しくて哀しい歌です。
この歌のタイトルをブログタイトルにしました。
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砂糖 志緒
性別:
女性
自己紹介:
中途半端なオタクです。
子持ちの主腐です。
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この記事へのコメント
無題
<br>
志都さま <br>
<br>
先程はワタクシのブログにコメントいただき ありがとうございました。 <br>
<br>
また こちらにも貼っていただき ひとりでも多くの方に伝えたいという願いが叶いまして 嬉しく思っています。 <br>
重ねて ありがとうございました(__) <br>
<br>
<br>
志都さまの言わんとされていること… よく分かります。 <br>
<br>
人間てそうなってみないと、体験しないと分からない哀しい生き物ですね。 <br>
<br>
なにもなくさず、被害も受けずに 平穏な日々のありがたみが分かればいいのですが……<br>
<br>
<br>
でも、あの日を体験したワタクシは <br>
少しですが なにもない1日の嬉しさ、ありがたさが分かった気が致します。 <br>
<br>
それは 現状に甘んじるという後ろ向きな思いではなく、 <br>
前に進む熱意を忘れずに、なおかつ 平穏な今日を感謝して過ごす……<br>
<br>
そう心がけて暮らしておりますー <br>
<br>
<br>
では、またお邪魔させていただきますね。 <br>
<br>
<br>
<br>
無題
kotuさま<br>
<br>
コメントありがとうございます。<br>
<br>
忙しい日々を過ごしていると、悲しいとか苦しいとか、自分でも気づかずにいることがありますね。<br>
心の奥に燻っていた悲しみが、ある時突然表に出てくることがあるんじゃないかと、kotuさまのリコメを読んで思いました。<br>
<br>
大病を克服した人が、「世の中が以前とは全く違って見える、何を見ても美しく愛おしい」というようなことを言っていました。<br>
困難を乗り越えるということは、大きな心の成長に繋がるのだと思います。<br>
それでも、悲惨な事故や天災を、〇〇のためになったので良かったとか、必要なことだったと言うのはとても悲しいです。人の死が絡めば尚更のこと。<br>
でも、何かのためになったと言わなければ、失われた命に申し訳ないという気持ちも分かるのです。<br>
だから、こういうことを考えると、いつも胸が苦しくなってしまいます。<br>
<br>
こんなことを考えているより、行動を起こして前に進むことが、きっと何より大切なことなんでしょう。<br>
<br>
わざわざこちらにまでコメントしていただき、ありがとうございました。<br>
またkiriさまのコメ欄にお顔出されるの楽しみにしています。